京滋の掃除屋@おっさんレンタル

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牛は美味しいが、環境には悪いらしい。では、私達は何を最優先にしなければいけないのか?後世に続く命の為に。

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小泉さんの「牛肉おいしかった発言」で、再度、注目を集めることになったが、牛は環境にとって悪い。牛が吐き出すゲップには多くのメタンが含まれており、とかく環境に対する影響が大きい。メタンは二酸化炭素の25倍の地球温暖化係数をもっており、
二酸化炭素以上に、地球温暖化に及ぼす影響が大きな温室効果ガス。
よって、いろんな研究機関でこのメタンを減少させる飼料の開発や、消費を抑える為にゲップ税・食肉税の導入なんてものも検討されたりしている。
日本では定期的に新聞や週刊誌の片隅にでるような扱いだが、
本来なら、もっと真剣に議論や対策が検討されてもよいのではないかと思う。
あまり問題視されない背景にあると思われるのが、経済優先という考え方と、日本の消費量等、アメリカや中国等の大国の比ではなく、大国が対策を講じるまでは何も行う必要なしという姿が透けてみえる。
もちろん、経済の発展は大事だし、規模の問題等も考慮にいれるべき項目だと思う。
ただ、情報が右から左でなにもしないというのはこれまた違うと思える。
そんなこんなで思うことを書いてみた。


まず思うのは、「民間でできることは何もしていない。」ということ。

最近の夏は暑すぎる。
私が子供のころは熱中症という言葉自体がほぼ聞かなかったし、
帽子もかぶらずに外で遊んでいた記憶がある。そして、毎年、繰り返される自然災害。今年も台風によって多くの方の命が失われた。
これは天災なのか人災なのかわからなくなる時がある。
もちろん、自然界で起こることに人間は口を出すことはできず、
その猛威に身を任せるしかないのだろう。ただ、地球温暖化に関しては何十年も前から世間一般に広く伝えられ、毎年、その影響を日常生活の中で実感していると思う。
そして、この地球温暖化は自然の流れで起こっているのではなく、
人間の生存活動で引き起こされたものであることも周知の事実だと思う。
それに対し、日々の生活の中で、自分たちができることというものを行っているかと言われればそうではない。利便性や欲求にまかせるだけで、自然災害の要因はどこか遠くの世界のことで、高名な科学者たちが取り組む問題、国が取り組む問題とうい認識になっているものと思われる。そして、その最たるものは、電力の問題だと思う。とある科学者の方が言われていたが、世界の環境問題で真っ先に取り組むべき行動として、
社会において、電力の消費を抑えることだといわれていた。もっともな話だと思う。
日本でおきかえるなら、日本の電力の消費量が抑えられ、原発を使わなくても生活が回るなら、原発の有効性というものはすべて否定され、すべての原発が廃炉に向かうだろう。そして、そこまで節電が進めば、新たな石炭火力発電所の新設も必要なくなり、
二酸化炭素の排出量等の問題も立ち消えるだろう。ただ、今の日本においては節電というものはまったく聞かなくなった。記憶をさかのぼると、東日本大震災の時には、
日本全土が節電に努めようと一丸になった。今の日本はどうか?
一般家庭ではあらゆる家電がフル稼働し、節電の意識はあったとしても、それは家計の問題からであろう。企業においても、外観の照明を抑えるなどの取り組みは立ち消え、一晩中、こうこうと明かりを照らし続けている。
節電もしないのに、原発だけを直ちにすべて廃止にしろというのは少々無理がある。
電力の消費量は経済の発展に関与するという一文をみたことがある。そうなると、経済発展が最優先の国が、節電等を率先して誘導することは一切なく、
環境事業育成のために、文化遺産から何から何までライトアップを推奨し、物資的豊かさだけを国民に植え付け、電力の消費をあおるのだと思う。
そういうことで、民間の草の根レベルで動いていかないと節電なんてものは進まない。
これと同じことで、牛のゲップが環境に悪いということがいくら証明されようが、
国がその情報を広めることはないし、テレビをつければ芸能人たちがおいしそうな牛肉に舌鼓をうち、その消費を推奨するような番組が繰り返されるのだろう。

このまま、この流れに身を任せるのももちろん一つの手だとは思う。楽だからだ
ただ、年々猛威をふるう自然現象にたいし、もう、何もしないというのは限界を迎えていると思う。民間でも行えることは率先して行わなければいけない段階にきたのではと思う。
決壊した川、流される家と車、非難する人々・・・。
自然災害が天災ではなく、人災という認識なら、何もしないというのは、
「座して死を待つ」ということだと思う。

明日から牛肉を食べてはいけないとなれば、苦痛だろうか?
その後の人生に生きる希望をなくすぐらいの失望だろうか?
グレタさんのスピーチを聞き、いい話を聞いたと、それだけで終わってしまうのか?

ここで断っておきたいのだが、農家の方への配慮というものは必要だと思う。
これらの方が路頭に迷うことがあってはならない。ただ、日本国中が一斉に牛肉を控えるなんてことは、今のこの国の姿をみればないのが明らかなので、少々、過剰なぐらいの動き出しでよいと思える。
そして、牛が環境に及ぼす影響なんて、だいぶ前から言われていることであり、
今の段階で何らかの方向転換や対策を講じていない農家に関しては、
危機管理能力の欠如というものが見て取れる。
いかなる業種、業態、企業においても、世論や世情にその業績は左右されるものであり、それに対して備えるのは当然のことであり、それに失敗すれば廃業するしかないのが自然の摂理だと思う。
環境という自然の理は無視し、自然の摂理にだけはあらがうというのは無理がある。


最後に

どこかの有名人が「牛肉を食べるのをやめよう!」と問いかけても、一斉にみんながその方向に向くとはとうてい思えないし、そうあるべきではないとも思う。少なくとも、自分で情報を収集するというプロセスは必要だろう。私も、なにも過剰な行動を期待しているのではない。ただ、これだけの自然災害という罰を受けているのに、日本国内において、民間レベルでできる環境問題対策というもにスポットが当たらない現状にたいし、強い違和感と危機感を覚えてしょうがない。あのような光景を日々目にすれば、
自分でできることならば、どんな些細なことでも前向きに取り組もうとするのが本来の人間の姿ではないのかと思う。

牛肉を食べないほうがいいなら、私は食べない。

すべての自然災害でなくならた方々に、哀悼の意を込めて。

 

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